今から約3年前に亡くなった山本文緒さんの闘病日記です。

突然の膵臓がんの診断。
医師から告げられた
余命は4カ月
読者や仲間から敬愛され、
惜しまれつつ58歳で逝去した作家が、
亡くなる直前まで書きつづけた日記

2021年4月、私は突然膵臓がんと診断された。
治療法はなく、進行を遅らせる抗がん剤をやめて、緩和ケアに進むことを決めた――。
まるで夫とふたりで無人島に流されてしまったかのような、
コロナ禍での闘病の日々を、
作家は日記として書き残した。
痛みや発熱の苦しみ、これまでの人生、
夫への感謝と心配、「書きたい」という尽きせぬ思い……。
58歳で急逝した著者からの、ラストメッセージ。
世のなかに闘病記はたくさんある。
たいていの場合、余命を数えながら言葉を紡ぐ書き手に、読み手は寄り添う。
がんばれと言う。生きろと思う。
この『無人島のふたり』では、それが反転する。
書き手が読み手に寄り添うのだ。
がんばれと言う。生きろと言う。笑ってと言う。
だいじょうぶだと言う。(中略)
深い悩みを、深い悲しみを背負ったとき、
それから私がこの先、深刻な病を得たときも、
文緒さんはずっと私に寄り添って、そう言い続ける。
(角田光代氏の解説より)
読んでいて、何ともいえない気持ちになりました。
亡くなることがわかっている中で、生きるということがどういうことなのか、とても考えさせられます。
この先には絶望しかない中で、どのように時を過ごしていくのか、なくなる方もそうだし、それを見届ける方もとても悩むだろうなと。
亡くなることがわかっている人の傍で、見届ける方はどのように接していくべきなのか。。。
無理にでも元気に振る舞うのがいいのか、
それとも一緒に悲しむのがいいのか、
どうなんだろう。
無理に振る舞ったとしても、それはなくなる方もすぐにわかるだろうし。
今自分にこの状況が降りかかったとしたら、どうして良いのか、正直、わからない。
この山本文緒さんの遺作は、
この先には絶望しかない方の日々の気持ちが綴られています。
亡くなる前にこういうことを考えてるんだな、いろいろな葛藤があるんだなというのを抽象的ではなく、 本当に生の、 彼女の気持ちが具体的に描写されています。
こういう状況と言うのは突然来るものだと思うので、 その時に備えて心構えはしておかないといけないのかなとも思いますが、なかなかそうもできないだろうなと言うのが正直なところです。