初めての辻井伸行さん、そして悲愴で命の儚さを、尊さを、耳で感じ、心で感じる。

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先日、ヴァシリー・ペトレンコ指揮

ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

ピアノ:辻井伸行

のコンサートに行ってきました。

個人的には、チャイコフスキーの悲愴がお目当てでした。

じゃじゃん。∠(゚Д゚)/イェーイ

今回は、ペトレンコさんも言っていましたが、ロシア音楽を中心。

2022年2月のロシアのウクライナ侵攻の前に選曲はしていたものの、今日性を帯びたプログラムになっています。

 

 

まずは、グリエール スラヴの主題による序曲

グリエールは、モスクワ音楽院ではプロコフィエフやハチャトゥリヤンを指導し、ソビエト作曲家同盟組織委員会の議長を10年間務めました。

ロシアからソビエトという変化の時代を様々に対応しながら生き抜いた音楽家の1人と言われています。

スラブの主題による序曲は、グリエールの保守的ではあるが、確かな手腕が発揮された作品の一つと言われています。

ロシア民謡の旋律が強く印象に残る一曲でした。

盛り上がり方が、とても印象的だったなぁ。

 

次は、辻井伸行さんのピアノ

ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番2短調作品30

ラフマニノフは、幼少期から優れたピアノの才を発揮し、作曲にも同様に才能と情熱を見せて13歳の年にモスクワ音楽院に入学しました。

チャイコフスキーにその才能を高く評価され、1892年に、同院の卒業作品として完成させたオペラは好評を得るなど作曲家として大きな期待を集めました。

しかし、意気込んで取り組んだ交響曲第1番の1897年の初演はひどい失敗に終わってしまい大きな挫折を味わったとのこと。

ここからしばらくの間、作曲家としてスランプに陥ったが3年後には本格的な創作活動に戻り、ピアノ協奏曲第2番で大成功を収めたことはよく知られている。

その後、作曲家としてもピアニストとしても充実期に入ったラフマニノフは、1909年秋にアメリカ演奏旅行を行うことになり、そのツアーのために新作の協奏曲が求められ、同年夏に短期間で完成させた楽曲がピアノ協奏曲第3番。

同年11月にニューヨークのカーネギーホールで作曲者自身のピアノで初演され、翌年1月には自身のピアノとグスタフマーラーの指揮で再現された本作はあらゆる協奏曲の名作の中でも最高度の難曲として知られているとのこと。

辻井伸行さんのピアノ、凄く感じるものがありました。熱量が凄い。半端ない。

目が見えなくても、ここまでできるのか、そして、この熱量、押される感じでした。

初めての辻井伸行さんでしたが、また聴きたいと思いました。

 

最後は、チャイコフスキー交響曲第6番 ロ短調 作品74(悲愴)

チャイコフスキーは1893年に入って交響曲の作曲に没頭し、8月に完成したのが悲愴と呼ばれる交響曲6番である。

その出来栄えには自身の中で最も良い作品と満足しており、10月には自身の指揮で初演したが、そのわずか9日後に病死で急死してしまった。

その事実と音楽の特殊さが重なったことで様々な謎や憶測を生み出してきた作品でもある。

本作の最も特異な点は第4楽章と言われている。

フィナーレ楽章は速度の遅いアダージョであるばかりか、暗い感情に覆われたまま消えゆくような終わり方には当時までの交響曲としてはかなり異例だった。

あたかも、死を悟っていたかのような音楽だったこともあり、かつては自殺説も出現したが、やはり病死で間違いないというのが現在の通説と言われています。

ただ、僕は、今回のペトレンコさんは、チャイコフスキーは自殺なのではないか?と疑っているのではないかと思った。彼の指揮するチャイ6を聞いていると、なんだかそんな気がしたんだよね。第3楽章での熱狂、そして、第4楽章の最初での絶望みたいな、そんなコントラストがあるような気がした。

また、ペトレンコさんの指揮は、ムラヴィンスキーを彷彿とさせるところが随所にあったなぁと思います。

そして、第4楽章の最後のところ、終り方については、マーラーの9番にも通じるところがあるなぁと思います。

ただ、今回は、最後の部分の終わり方が、もうちょっと、ちょっとだけ、消えゆくような感じが弱かったかなと。まぁ、音楽初心者の僕の感覚でしかありませんが。

今年はラフマニノフの生誕150年ということで、ラフマニノフの楽曲が多い印象。

チャイコフスキーは、本当に大好き。みんなに聞いてもらいたい。良さについて語り合いたい。

 

5月25日 鎌田善政(鎌田建設社長)

「凡事徹底」の祈り

凡事徹底という4文字には、弟の成功と幸せを願う兄の無心の祈りが込められていた。

 

凡事徹底、当たり前のことを当たり前に徹底的にやる。

それが近道。