四月になれば彼女は 川村元気

読書
  1. ホーム
  2. 読書
  3. 四月になれば彼女は 川村元気

先日、本屋さんで気になった小説を読みました。

四月になれば彼女は 川村元気

この小説は映画化されるようで来年の3月29日に公開されるようです。

あらすじですが、

4月、精神科医の藤代のもとに、

かつての恋人・ハルから9年ぶりに手紙が届いた。

だが藤代はその時結婚を決めていた。

愛しているのかわからない女性と。

失った恋に翻弄される12ヶ月が始まる。

なぜ、恋も愛も過ぎ去ってしまうのか。

川村元気が挑む、恋愛なき時代における異形の恋愛小説

と書かれています。

帯には

胸をえぐられる、切なさが溢れだす

究極の恋愛小説

と書かれています。

あさのあつこさんは、

こんな物騒で厄介な小説を手放して褒めていいのか、

私は身を震わせる

と解説しております。

この小説ですが、時間があったので、

1日で読み通しました。

なんとなく途中で読みながら、

なぜ元恋人が手紙を書いてきたのか

という点は察しがつきました。

しかし、恋愛というのは何なのか

という点を深くえぐる考えるそんな小説であり、

結構考えさせられました。

この小説の中で出てきたフレーズで考えさせられた点を列挙します。

「誰かを愛しているという感情は一瞬だということが、いまならわかります」

「誰かの気を引こうとするときには、人はどこまでも優しく魅力的になれるんです。でもそれは一時的なものでしかない。手に入れたあとは、表面的で無責任な優しさに変わってしまう」

「ほとんどの人の目的は愛されることであって、自分から愛することではない」

「生きているという実感は死に近づくことによってハッキリとしてくる。この絶対的な矛盾が日常のなかでカタチになったのが恋の正体だとボクは思う。人間は恋愛感情のなかで束の間、今生きていると感じることができる」

「わたしは愛したときに、はじめて愛された。生きている限り、愛は離れていく。避けがたく、そのときは訪れる。けれども、その愛の瞬間が、いまある生に輪郭を与えてくれる。わかりあえないふたりが一緒にいる。その手を握り、抱きしめようとする。失ったものを取り戻すことはできないのだとしても、まだふたりのあいだに残っていると信じることができるもの、そのカケラを1つ1つ拾い集める。また、弥生とあたたかいコーヒーを飲もうと思った。あのリビングで。彼女は掃除機をかけるのを横目で見ながら皿を洗う。朝起きて、おはようと言う。いまなにをしているのだろうか。仕事をしながら、彼女のことをふと想う。ドアを開け、ただいまと言う。おかえり、という声が聞こえる。1日の終わり。眠る前におやすみと言って、一緒のベッドで眠る。漫然と続く日常の中で、愛をつないで生きていく。」

 

とりわけ、最後の部分は、共鳴というか、グサっと心に刺さりました。

上から二つ目は、よく「釣った魚に餌を与えない」みたいな言い方をされることがありますが、

それよりも、「表面的で無責任な優しさに変わってしまう」というのが、よりわかりやすいかなと。

でもね、これを読んでも、

生きている限り、愛は離れていく

という点には同意はできない。

愛が離れていくように見えているというのはあるかもしれないけど。

その離れていくように見えている愛を、その距離を縮めるのが、

日頃の普通のやりとりを大切にすることなんかなぁと思ったりしました。

 

10月30日 小菅正夫(旭川動物園前園長)

集団の力が組織を強くする

絶対にスターを作ってはいかんのです。

スターを作るとみんなその人に頼る。

 

これ本当に難しいところ。スターがいると、頼る。

頼るとなると、本気で考えない。

なぜなら他人事になるから。

その瞬間、まぁ、自分のことじゃないし、ということで、

全力を尽くさなくなるんだよね。きっと。